日々のつれづれ

大切なこともそうじゃないことも、ゴッチャマゼ

自分の時間を現金に変換しているようなもの

最近はなぜか仕事が溜まってしまって、勤務時間中はフル回転しているハズ(:自分比)なのですが、それでもやっぱり書類が積まれてしまいます。

 

どうしてだ・・・ (原因は薄ぼんやりわかってる)

 

それでも、5時のチャイムが鳴ると同時にデータを保存してパソコンはシャットダウン。

(ちょっと気になることがあっても、)ハイ、おしまい!

お疲れ様!!と笑顔で挨拶してサッサと帰ります。

 

定時で業務を終了した後、バスの時間がギリギリなので、ものすごい気合が入ります。次のバスにしてもいいけど、田舎なので次のバスの時間まで少ーし間があくので嫌。

 

 

仕事って、私にとっては、「子供を育てるため・生きていくため・自分の好きなことをするため」になくてはならない現金収入の道、です。

それ以上ではありません。

仕事が「生きがい」だったり、仕事に「やりがい」を求めるとか、全くあり得ません。所詮、ペーペーは仕事の(会社の)歯車ですからね。

仕事をしていれば金が貰えるからやってるだけです。その他に子供を育てるため・生きていくため・自分の好きなことをするための収入を確保できるの道があるなら、ぜひ教えて欲しいものです。(まっとうな道に限る)

 

そんなわけで、業務時間内に絶対に仕事は終えたいし、時間内に終えられない場合があるなら、必要最小限の時間だけ仕事をして、かかった分についてはキチッと時間外労働の対価を請求したいと思っています。

そうそうまくいかないことも多々あるけどね・・・(金がもらえないことがあり過ぎる)

 

なので、定時後でもダラダラとおしゃべりをしながら自席に居座る同僚が理解できません。(例え時間外労働分を請求しないとしても)

何故に職場に意味もなく居るのか?自分がしゃべっていればその人の相手をしている方も仕事をしていない時間にカウントされるだろうに。職場以外に居場所がないのかな?

仕事中にベチャクチャしゃべって邪魔をされるのもまっぴらなんです。(実はされている)

ま、そこに関しては、今後の業務をうまく回すための必要経費(必要犠牲)だと思って大事な自分の時間を費やしていますけどね。

それに、煙草休憩をするのも、離席してコンビニ徘徊とか他課の知り合いを気分転換に訪ね歩く旅に出る上司や同僚の存在も、意味わからん。

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自分の人生の時間は有限です。

私は昔から43歳で死ぬんだと思って生きてきましたから(おかげさまで44歳の今も無事に生きております。感謝。)、時間が有限だとつくづく感じます。

子育てだって「リミット有り」で対応していましたから、他のご家庭よりちょっと特殊な子育て項目もあったかもしれません。

 

話は戻り。

日々、自分の人生の大切な有限の時間を、現金収入を得るために削り取って「仕事」のために時間を割いて)います。

時間に色はついていないので、仕事で費やさなかった時間は、もしかすると可愛い子供たちの笑顔を見る時間だったかもしれない・泣き顔を見る時間だったかもしれない・子育てに奮闘する時間だったかもしれないし、もしかすると自分の大好きな趣味に費やす時間だったかもしれないし、大切なパートナーと語らう時間だったかもしれない。

どっちにしろ、きっと仕事以外の他のことに使われるんだと思います。

 

個人的に飲みニケーションも大嫌いなんですよ。行きません。仕事を引きずりながら飲んで何が楽しいんでしょう?

あ、職場の仲良しな同僚と楽しむために飲むなら全然OK。行きます。

けど、課のお疲れ様会・お花見会・忘新年会・納涼会・・・無駄だわ・・・あっても行かないけど。

唯一行くのは歓送迎会。それは仕事だと思って行きます。(実際、仕事の一部ですよね)

ここでも、この飲み会は自分の大事な時間を切り取って捨てるほどの価値(飲み会は時間外勤務手当がない)があるか?と思えば、歓送迎会以外は価値ナシです。(人によっては歓送迎会すら価値ナシかもしれない)

 

 

 

と、いうようなことを、定時のチャイムが鳴って大慌てでパンプスを長靴に履き替えつつ、コートを羽織り、バックを取り出しながらも、のんびりおしゃべりをしている同僚を見ながら(その同僚は結構な頻度で遅刻する)、基本的に離席ばかりの上司の空席を見ながら、思っていました。

 

ま、そういう私も、仕事が忙しくなかったら勤務時間中にサイエンス系の雑誌を読んでるんですけどね。(人のことはそうそう厳しくは言えない)

 

自分は時間がもったいないから早く帰るけど、みんながみんな、同じようには考えないからねー

三連休、のんびり過ごそうっと。