日々のつれづれ

大切なこともそうじゃないことも、ゴッチャマゼ

大切にしようかな

対人関係における断捨離、という発想はあまり好きではないのですが、年賀状を出すシーズンになると、少し考えるときがあります。
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そもそも、年賀状については仕事関係だけの人には送りません。送るのは数少ない親戚と、同じく数少ない中高生時代の友達や職場の友達だけです。
もともと親戚でも家族でも、自分が好きではない人と関わりません。仕事関係でも、仕事の付き合いのみに留めます。そんなわけで、無駄に省く関係というものは、特にありません。

そんな中、今では中高生時代の友達と交わることはほとんどありません。お互い環境も変わりましたし、住む場所も違います。
もともと、便りがないのは良い便り的な感じで、友情関係を維持するための努力というものはほとんどしない間柄(連絡を取り合って頻繁に会ったり話したりというのはしない)だったので、余計に疎遠になりやすかったのでしょう。

数年ならそれもいいかもしれませんが、それが十数年、数十年になると、もうお互いの生活様式も生活習慣も考え方もわからないので、ちょっと・・。共通するのは思い出話だけ、っていうのは、どうなんでしょうね。(私、物覚えが悪いので、思い出自体も覚えてない)

そんな彼女たちとは、今は年賀状だけの繋がりです。
そのことについて、この年賀状を作成するシーズンに、「そんなのって、無駄じゃないかな・・・」と思ったりします・・・
でも、か細い糸が年賀状でたまたま繋がっていて、それをこちらから断ち切るのもちょっと心苦しい・・・とも。

 

にしても、断捨離ってかなり激しい単語じゃないですか?

断つ・捨てる・離れる

うーん。自分がため込んだ物に対して、整理整頓をする際に使うのなら特に躊躇いはないですが、人間関係における断捨離って、かなり乱暴に聞こえます。
まるで思い出を捨て去るようで、なんか悲しいし。

そんなわけで、今年もまた、長年会っていない、きっともう会わないんだろうな、という友達に(単語使用例として「友達」はどうなんだろう。でも、楽しい友達だったので、「友達」と使います)、年賀状を出します。
自分からご縁を断ち切ったり捨て去ったり離れたりするのは、ちょっと寂しいので。
それに、友達の家族の写真(主に子供)を眺めるのは、なかなか楽しいものだし、ほっこりしますし。

 

まぁ、いつかそのうち、ご縁があれば。