日々のつれづれ

大切なこともそうじゃないことも、ゴッチャマゼ

シェルブールの雨傘(Les Parapluies de Cherbourg 英:The Umbrellas of Cherbourg)

シェルブールの雨傘(Les Parapluies de Cherbourg 1964 フランス映画)
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カトリーヌ・ドヌーヴ(Catherine Deneuve)の出世作として有名な映画とのことですが、出世云々は置いておいても、非常に美しい方ですね。
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完全ミュージカル(とはいえ、出演者は歌的に素人のためアテレコ)です。

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港町シェルブールに住む17歳のジュヌヴィエーヴ(カトリーヌ・ドヌーヴ)。シェルブール雨傘店を営む母エムリと2人暮らし。
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20歳の自動車整備工ギイは病身のおばのエリーズと暮らします。

ジュヌヴィエーヴの母エムリは、単なる自動車整備工であるギイとの仲を快く思っていません。やはり、最愛の美しいジュヌヴィエーヴの相手は「それなりの」稼ぎがある職業の男性との付き合いの方が、好ましいようです。(あの美形だしな)
母一人子一人であるエムリの、その気持ちはわからなくはない。けど、無理強いしてはいけないと思うけどね。
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みていて涙ぐましいくらいギイに惚れているジュヌヴィエーヴ。惚れているというか、もう依存レベル。メチャメチャ好きっていうのはすごい分かる。
ギイはともかく、ジュヌヴィエーヴについては、17歳でここまで入れ込んでいて、本人は定職はなく(家業手伝いのみ)、大丈夫なのかよ、と思わなくもない。反対にあの年代だからこそここまで没頭できるのかもしれないし・・。(そりゃギイもジュヌヴィエーヴに惚れているけれど)
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どっちかっていうと、母であるエムリの心配の方がシックリくる私。(ギイに惚れ込み過ぎているジュヌヴィエーヴの行く末が心配で)

そんな時、店舗経営をしている母エムリのもとに納税通知書が届きます。それがまた予期せぬ高額だったらしい。(それもどうよ、少なくとも経営者なのに?と思わなくもない。)(まぁ、いい)

ジュヌヴィエーヴは、所持する宝石売却についてガタガタ言う母エムリを説得して、懇意にしている宝石商に鑑定に訪れました。(納税できないのに持っている財産(宝石)を売りたくないとかごねる母って意味わからん。納税できなければ店を手放すしかないのに。)(まぁ、いい)

結局、正規に見積もると持っていた宝石類は納税金額に及ばないらしくおまけに即金対応もしてもらえず、結構な大ピンチでしたが、その場に偶然居合わせた宝石商ローラン・カサールが即金での購入を約束してくれました。
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それこそ胡散臭いと思うのだけど。まぁ、映画だから。

その後、ギイにはアルジェリア戦争での2年間の兵役を課す召集令状が届き、ジュヌヴィエーヴに心を残しつつも、幼馴染のマドレーヌにおばのエリーズを託し、戦地に向かいます。

遠距離恋愛がうまくいかない背景の一つに、お互いの意思疎通がうまくいかない、という点があります。

今回のジュヌヴィエーヴとギイについても言えると思いますが、なんといってもジュルヌウィエーヴの心が移ろいやすい。というか、身近に頼れる誰かがいないと気持ちが揺れ動きやすい。
ジュヌヴィエーヴが若すぎるから、というのも考えられますが、生い立ちにも原因があるのかも。母親はドッシリシッカリ構えているタイプではないようだし。

でも、別にそのこと自体が悪いとは言いませんし、大なり小なりあることです。万人はすべからく一人の相手に心定めて邁進するわけでもないし。はっきり言って、心が揺れ動くような原因を作る相手も悪い、と私は個人的に思うし。(それが嫌ならしっかり繋ぎ止めりゃいいじゃんか)

だって、ジュヌヴィエーヴはギイの子を宿しているんだから、不安にもなりますよ。
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おまけに、ギイは筆不精過ぎます。
軍隊に所属すればマメに手紙を送るのもままならず、というのも仕方ありませんが、この時代は手紙で相手の心情を確認するしかないのに、どんな原因であれ、この状況での筆不精って、その後の展開に何があっても文句は言えないと思う。
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母エムリにしてみると、娘に軍隊に徴収された男の他に良縁の可能性があるなら、そっちの方が、もしかして死んでるかもしれない(帰ってきたとしても大した稼ぎが期待できない)男よりも、娘のために良いと思うのは当然の帰着。
私もそう思いますよ。その男を積極的におススメするかどうかは別としてね。
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あんなにギイを恋い慕っているのに、ギイからの連絡はほぼなく、誰も庇護のない中で彼の子供を身ごもり、母は味方ではなく、妊娠している事実を話しても、自分はそれでもよいと言ってくれる、身元のシッカリとした誠意溢れる男性が目の前に居れば、誰だって心は揺れるわな。(っていうか、揺れない原因の方が知りたいわ)
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全然ストーリーと関係ないですが、家の内装も洋服も可愛いですよね。

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この時代(じゃなくても)、自分以外の子を身ごもっていて、全てをひっくるめて「自分たちで育てよう」と言ってくれる度量の広い男はそうそういません。この時点で、もう合格点以上です。しかも、彼は自分と未来の子供(種は別の男)と、自分の母親の3人の面倒を丸々見てくれるというのです。
シングルマザーで育ててもらったジュヌヴィエーヴであれば、母も一緒に生活の面倒を見てもらえるのはありがたいと思うのは、普通の人情だと思います。
おまけに、腹の子供の父親は、手紙での連絡は全くない状態で、希望する子供の名前は「男の子ならフランソワ」くらいは教えてくれたけどそれ以外は全く、生きてるんだか死んでるんだか・・・。もう不安しかない。

ギイへの愛があるからこそ、ローラン・カサールとの関係に悩むジュヌヴィエーヴ。

とうとう、ジュヌヴィエーヴは求婚を受け入れ、パリで暮らすことになりました。母エムリは時期を同じくして店を人手に渡します。

 

その後、帰郷したギイはシェルブール雨傘店を訪れますが、既に所有者は代わっており、さらにジュヌヴィエーヴの結婚と移住を聞かされて自暴自棄となり、復職した整備工場でも自身が原因となる些細なトラブルで退職することになります。

そんな中、彼のおばのエリーズが亡くなります。唯一の拠り所を失くしてしまったギイは、今までおばの面倒を見てもらっていたマドレーヌに「仕事をしない今のあなたは大嫌い」(ナイス!マドレーヌ!:私の心の声)と言われて一念発起し、おばの遺産でガソリンスタンドを始めることに決めました。

ここでもね、「もし」伯母の遺産がなかったギイはどうするんだろう?って思いました。元手がなかったら、一体・・・ガソリンスタンドも始めることはできなかったわけだし、結局元手(金)がないと身動き取れないよね。
昔馴染みの整備会社を首になった彼に、その後があるとは思えないけど。戦争の恩給でガソリンスタンドは建たないよねぇ。

ようやく立ち直ったギイに、マドレーヌも心を開き、結婚を決意します。
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たぶん、マドレーヌ的にはとても良かった展開だと思います。
昔から心を寄せていた男性が立ち直り、自分との未来を考えてくれるんだから。
良かったね、と思う。そりゃ思うよ?
でも、マドレーヌなら、おばさんの金で何とかなったギイじゃなくてもよくない?と意地悪く思ったりして。だって、おばさんの面倒を全て見ていたのは彼女なんだしね。全く、ギイじゃない。遺産をもらえる「資格」を云々するのであれは、彼女こそ相続の価値のある人だと思います。
いや、好きな人と一緒になれるのは幸せですよ。うん。

 

ある雪の夜、妻マドレーヌと息子フランソワがクリスマスの買い物に出ていった後、一台の車がギイのガソリンスタンドに給油に訪れます。
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ジュヌヴィエーヴの身なりは喪服でしたが裕福そうです。
娘の名は「フランスワーズ」だと告げ、「会ってみる?」とギイに聞きますが、彼は拒否します。
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仕方ないです。今更会ってどうにかなるものでもないし、交流を深めることもない。
実父に捨てられた子供です。と同時に、ジュヌヴィエーヴもこの瞬間、確実に捨てられました。
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ジュヌヴィエーヴがたまたま偶然このガソリンスタンドを訪れる理由はありません。きっと、何かで知って、調べ、故意に訪れたのでしょう。
そして、娘の名前が「フランソワーズ」なのは、出産のときにまだ彼を愛していたからでしょう。もしかしたら今でも。

彼が娘に一瞥もくれないことは分かっていいたかもしれませんが、ジュヌヴィエーヴにしてみれば、その事実に直面して、かなり堪えたでしょう。

ギイにしてみると、その対応は当然だと思います。

でも、彼の一人息子が「フランソワ」なのはなぜか。自分の息子に、ジュヌヴィエーヴとの思い出のある「フランソワ」を付ける?
何故、彼女の目を見て断言する必要がある?「幸せだ」と。

自分はあなたと結ばれなくても幸せだ、自分を捨てたあなた無しでも十分にやっていける、伴侶もいる、子供もいる、あなたなど私の人生に一欠けらも必要としてない。

わざわざ彼女に宣言する必要がある。彼女の瞳を通して自分に言い聞かせる必要がある。

様々な理由からとはいえ、ジュヌヴィエーヴはギイを選びませんでした。今は、もしかすると不幸かもしれません。または、穏やかで死ぬほど退屈する生活の中で昔の愛情だけを温めているのかもしれません。
ギイはマドレーヌという生涯の伴侶を得て事業も順調ですが、ジュヌヴィエーヴを失い、心に酷い傷を負いました。それが酷い傷だったからこそ、彼の心に刻み込まれたのかもしれません。
もしかすると、そうではなくて、それぞれ別の感情があったのかもしれません。

どちらにしろ、彼と彼女の人生は、もう交わらないのです。それぞれが選んだ道だからです。

雪景色の誰もいないガソリンスタンドを見ながら、そう思いました。