日々のつれづれ

大切なこともそうじゃないことも、ゴッチャマゼ

曰く、「褒めて!!」

自分の子供という存在は、本当に不思議なものだなぁと思います。

居なかったら居なかった人生があるし、居るからこの人生があるわけで、どっちが良いとか悪いとかというものでもないし。

それを言ったら結婚だって、する人生もあればしない人生もあるし、結婚しても別れることもあるし、何かの拍子に続いてるかもしれない。どっちが良いとか悪いとかいうものでもないし。

こればっかりは縁だろうなと思います。

 

今回はウチの下の子のことなんですけど。

彼女は私が面倒だからと無視したり、そういうつもりはないけど静観(傍観)しているときに、ビックリするくらいのエネルギーで、真っ直ぐに向かってきます。時には泣きながら。

本当に驚きます。

私個人にここまで向き合ってくれるのは、今までの人生の中で彼女だけなんじゃないかな、と、ありがたい気持ちになります。(上の子と性格が違うからね)

 

その彼女は褒められたがりで。

私はひとり親で育ててきたので、一人で甘い役と厳しい役をこなすことができません。同時に叱りながら褒めるって、実質できないでしょ。(笑いながら怒る竹中直人さんみたいなのは無理よね)
そんなわけで、厳しめに育ててきました。あまり褒めない。

自身の性格的にも「それ、もっと出来るでしょ?」「え?その程度なの?」と素で言ってしまうため、なかなか褒めるまでいかない。実際、子供達はもっと出来るので、中途半端に褒めてしまうとすぐに怠けるのですよ・・・

そんな彼女は、ほぼ大人になって今でも「褒めてもらいたい!!」と事あるごとに「褒め」を強制してきます。

 ・朝、定時で起きた時 ⇒ 時間までに一人で起きれてエライー
 ・朝ご飯を食べた後食器を洗った時 ⇒ ちゃんと洗えてエライー
 ・洗濯物が干し終わった時 ⇒ ちゃんと干せてエライー
 ・外から帰ってから手を洗い終わった時 ⇒ ちゃんと手洗い出来てエライー

ことごとく!

家事は(今では)彼女の手伝いの範囲なので、やって当然です。朝起きるのも普通のこと。普通のこと過ぎて全く褒める余地ナシで、イチイチ構うのも面倒なので「褒めて!」って言われたら言う程度でしたが。

最近それに慣れてきて、積極的に「エライー(棒読み)」と言えるようになってきました。

 

先日、結構いい気分で酔っていたときに食後のお皿をテキパキと洗い(シンクにお皿が溜まっているのが好きではない)、「食器洗ったよ、褒めて―」と下の子に言いましたら、速攻「お母さん、エライー!」と言ってもらえました。

その時にフト思い出したのですが、私が小6の時に働きだした母が「食器を洗っておいてね」と頼む際、必ず私だったのが嫌でした。

私に頼むのは、私が「お姉ちゃんだから」。
弟は頼まれても嫌がって無視するだけ。もちろんお皿だなんて洗いません。でも叱られません。

私だけ頼まれ、私だけ洗わなければならず、さぼると私だけ「お姉ちゃんなのに」と叱られ。叱られないときでも、トゲトゲした空気と言葉は私に向けられ。

それが本当に嫌だった。好きで姉に生まれたわけでもないのに。
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洗うとたまに「ありがとう」とは言われましたが、別にやりたくてやってるわけじゃないのにありがとうって言われても嬉しくない。そもそもやりたくないんだから頼まないで欲しい。褒められたいわけでは全くない。

母には「お皿を洗うだけなんだから」と言われましたが、「だけ」なら私じゃなくても弟でもよくない?なぜ彼は叱られない?弟だから?
「だけ」なら、自分でやればいいのに、とも思っていました。

母は食事の支度が必要な時は必ずしてくれました。だから、皿を洗う「だけ」なのは頭ではよくわかります。
私「しか」できないことならともかく、皿だなんて弟でも普通に洗えます。だから、姉弟で差があるのが本当に嫌だった。年上の私だけが強制されるのが理解できなかった。
余談ですが、私は子育てで「兄だから」という理由で上の子の負担を多くしたことはありません。絶対にそれはしたくなかったので、仕事の都合で子供たちに家事を頼むときは順番に割り当ててました。

という懐かしくも思い出したくもない嫌いな記憶がボコボコと沸き上がってきて、それが即答の彼女の「エライー(^-^)」で一気に帳消しになった気がして泣きたくなりました。

私、「偉いね」って言ってもらいたかったのかな。

 

以来、私の「エライー(笑顔)」もちょっと上手になってきています。

 

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彼女は私を変えるために遣わされた天使かもしれません。(写真は如来様だけどさ)