日々のつれづれ

大切なこともそうじゃないことも、ゴッチャマゼ

ワン・デイ 23年のラブストーリー(One Day)

アン・ハサウェイは好きな女優さん(嫌いな人っていないけど)の一人です。
それに、ストーリーも面白そうだったので選びました。
落ち着いて観れそうですし。

ワン・ディ 23年のラブストーリー
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【あらすじ】(wikipediaより)
7月15日は「聖スウィジン(英語版)の日」。1988年のその日、大学の卒業式の夜に出会ったエマとデクスターの2人は、深い関係になりかけたものの、その後は親友として付き合うことになる。毎年7月15日には直接会うか電話で話をするなど、友だち以上恋人未満の微妙な関係を続けつつも、2人はそれぞれ別々の人生を歩むが…

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あらすじのとおり、この2人の毎年7/15を追ったものです。
毎年7月15日だけをクローズアップするので、次の1年の間に何があったかどうなったかというのはセリフ等で推し量ります。
なので、重くなく、テンポよく話は進んでいきます。

エマは(たぶん最初に出合った時から)デクスターが大好きで大好きで、あわよくば!と気合も入りますが、結局何事もなく・・・そして「友達」関係を維持することになるのですが・・・
こういうのはお互いの気持ちもありますし、タイミングもありますよね。

傍で「なんでデクスターみたいな男を!?」と思って観ても、結局恋愛なんてどこがどうなるか誰にもわかりませんし、好みだからいいかって言ってもそうじゃないこともあるし、条件で恋愛するわけにもいかないし、まぁ、仕方がないですよね。

デクスターと出合った頃の当初のエマは、プリティ・プリンセスの冴えない女の子を演じた風な雰囲気になってました。懐かしいです。

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エマの純粋な気持ちが軽薄な彼に踏みにじられても(でもそこは「友達」関係なのでドロドロはしない)、何年経っても誰と付き合っても、やっぱりデクスターが大好きで、心の片隅にいつも彼がいる。
そういうのって、誰にでも大なり小なりあると思うのですよ。
その気持ちを抱えながら縁のあった別の人と結ばれることもありますけど。

デクスターはずっとエマを好きだったはずはないと思いますが、それでも心のどこかではエマが特別な女性だったから、あの軽薄な男がずっとエマと「友情」という名目で続けてこれたんだと思います。
最初にセックスしなかったからこその特別感かもしれませんね。
たぶん若い頃のモテモテの彼にとっては片手間に処理する相手は掃いて捨てるほどいたでしょうし。


デクスターが結婚しているときに妻に裏切られて物凄い落ち込んで荒れてどうしようもなかったときに、エマと関係を持ったという回想があります。

「たった1度だけね」
「3回だ!」
みたいなのは枝葉です。

そのときに、「友達としてあなたが必要な肩を貸しただけ」とエマが言います。(ニュアンス的に。うろ覚えですみません)

友達関係にあったとしても、いざとなったらできるか、というのは男女の友情のラインなんでしょうか。
私には男の親友はいませんのでわかりませんが・・・

その時のエマの気持ちを思うと。
そして「肩を貸しただけだ」と言い切るエマの強さと切なさ。
友情って何なんだろうと思いました。

たぶん、エマがデクスターが大大大好きだった最初の頃には絶対に言えないセリフだと思います。
デクスターはエマによって(わかりやすく)成長していきますが、エマもデクスターを好きなまま様々な経験をする中で人間的に広く深くなっていったんでしょうね・・・


エマのラストシーン、あれは衝撃でした。
アン・ハサウェイがあんな死に方(撮られ方)を了承するとは!(彼女のセックスシーンよりビックリしました)

そのことによりデクスターは身も世もなく嘆きますが、父親の慰めでまた強く変わります。

デクスターの若かりし頃のくだらない軽薄っぷりが、歳を経るごとに様々な経験を重ね、落ち着いていく様は見事でした。


ラスト近くの、エマと一緒に歩くシーンと重なる、娘とのシーン。
切なくて美しかったです。(そしてちびっ子は可愛かった)

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派手さはありませんが、私はこの映画が好きです。